2009年 11月 15日
自分の葬式を自分で決める
ただこの葬式で驚いたことが一つ。故人のあまりの手回しの良さです。
生前やり手で知られた故人は闘病の資料をすべて残し、その時々の自分の心境とともに一冊の本にまとめ、『これを自分の葬式の会葬者に配れ』と遺言しました。完成したのは死の直前です。その中身を読んでみると、今日の葬式の段取りはすべて故人が決めていたことが分かります。自分の死が近いことを悟った故人は、自分で葬式の取扱業者、式場、お寺を決め、そのすべての交渉を自分で行い段取りを決めてあったのです。戒名も、お墓も自分で決めてきました。招待状も、参列者への礼文も本人が用意して置いたのです。弔文の依頼も事前に友人に行い、式の案内先をいちいち指示した文書も家族に残していました。こんなこと、とても私には出来そうにありません。他の部分を見ると、初めから自分の死を淡々と受け止めたわけではないことも分かります。絶望のあまり、家族、友人達の顔が次から次へと頭に浮かび、涙があふれてきたこともあったようです。あまりの痛みにもだえ苦しんだ日が何日も何日も続いたことも分かります。でも、最後には、自分の運命を受け入れ、自分の死が家族にかける負担を減らすことに心を砕いたのです。そして、世話になった病院関係者、職場の方々、友人、ご近所の方々への感謝の言葉で本を締めくくっています。『心配りの人だったからねえ』と幼少の頃からのご友人は仰っていました。こんなことを市井の一ガン末期患者ができる。どう表現して良いのか分かりませんが、強い印象を受けました。
ここまで自分の死を客観的に見つめることが出来るものなんですね。
こゝろからご冥福をお祈り致します。
人は亡くなる時に、どんなにかこの世に未練を遺して逝かねばならない事かと案じるのですが、ここまで突き抜けた方を知りません。
自分の死に際を一考する良い機会でした。合掌
私もビックリしました。出棺の時には、奥さんが『もう何も心配しなくても大丈夫だからね』と語りかけていました。その顔を見ると、快活に笑っていた昔通りの姿で・・。火葬場で骨も拾いましたが、そのときには、もうモノになったという気がしました。
この方の書いた本の題名は、「癌はやはり怖い でも治る」でした。自らは治らないことを覚悟の上で、このような題名で出したのです。近い将来、題名通り、治るものになってほしいものですね。ご友人も心配ですね。