2011年 03月 29日
時代遅れの科学に依拠する日本の原子力
しかし、原発の安全性が問題になると事業者側から、「絶対に安全」というあり得ない妄言が繰り返されてきた。こういうことを言うためには、自分に知らないものは無い、すべて分かっている、何が起きてもコントロールできる体制を作りあげているという前提が必要である。しかし、そのようなことが神でもない人間の身に、あるわけがない。すべては蓋然性の問題である。黒から白へのグラデーションの中で、危険性を極限まで0に近づけていこうという努力が求められる。それを勘違いして黒か白かの二元論に置き換えて、「絶対安全」と言ってしまったら、限りなく危険性を減らしていこうという努力は行われなくなる。
The New York Timesは「時代遅れの科学に依拠する日本の原子力発電規制」という記事を掲載している。
Japanese Rules for Nuclear Plants Relied on Old Science
http://www.nytimes.com/2011/03/27/world/asia/27nuke.html?pagewanted=1&src=un&feedurl=http://json8.nytimes.com/pages/world/asia/index.jsonp
(以下抄訳)
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日本の原子力の指導者たちは津波の破壊力を長い間無視してきた。津波という言葉がガイドラインに登場したのは2006年、原子力発電所が出来て40年も経ってからのことだった。
福島第一原発をおそった津波は約14mの高さに達したというがその防護体制は悲劇的にまで小さなものだった。高さ5.5mの防波堤はあったが、それは台風対策のもので津波対応のものではなかった。
政府と東電は繰り返し、マグニチュード9.0の地震は予測できなかったと言うが、地震学者や津波の研究者によれば、マグニチュード7.5程度の地震でも福島第一原発が立地している4mの断崖を乗り越える津波が形成される可能性を示すデータが既に存在していた。
2002年にアドバイサリー・グループから非拘束的勧告が出た後、東電は津波の最大想定規模を5.4~5.8mに引き上げたが、行ったことは海岸の近くに設置した電気ポンプを8cm高くしただけのことだった。
「私たちは先例がないと仕事が出来ないんです。そして先例はなかったんです」というのは、1990年代に福島第一原発の監督を務めたTsuneo Futami氏である。「私が発電所を率いていたとき、津波のことは全く想定していませんでした」。
日本の官僚と技術者たちは、もっぱら地震や津波の記録に依拠し、1970年代以降の地震学と危機管理における進歩を利用しようとはしなかった。
1600年以降の記録を調べるとマグニチュード7.0から8.0くらいの地震が現在の福島県に相当するところで起こっていることが分かった。より厳しいガイドラインが1981年までに作られたが、そこには地震についての言及はあったが、津波については無かった。そして、電力会社は厳しい基準の採用を拒み、原子力安全委員会へ代表を送らなかった。
文化的、歴史的それとも単に経済的理由によるのか、日本の技術者たちは自分たちが信じているものが最大の地震であると言い続けた。
彼らのメソッドは、以前見つかっていなかった断層や、まれではあるが巨大な地震のような重大な不確定要素を考慮の対象にしていないのである。
「日本は立ち後れた。最大規模の地震はこれだけのものだと言明した後でも、新しいデータが現れれば再評価する時間はあったのに」。専門家のHardy氏は語る。
日本のアプローチのやり方は「決定論的」-「蓋然論」または不確定要素を考慮に入れることの反対-で、行き詰まっていると、Noboru Nakao氏は語る。氏は日立で40年以上原子力技術者として働き、沸騰水型原子炉のオペレーターの訓練所の所長を務めていた人である。
「2006年のガイドラインは津波を地震に伴う現象として言及していた。そして、電力会社に対しそのことを考慮するように促していた」と、構造工学の専門家、Aoyama氏は言う。
津波の記録に限って見ても、福島第一原発の津波防御策を易々と超える危険性は認識されて良かったのだ。1993年のマグニチュード7.8の地震では日本の西海岸で9m14cmの津波が発生している。
貞観地震で発生した津波は、ちょうど原子力発電所の北側に当たる地域で1マイル内陸まで達した。869年のことであった。
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福島第一原発で起きた問題はすでに国会でも追及されていた。共産党の吉井英勝衆議院議員(京大原子核工学科出身)が、2006年10月と2010年5月にに非常用電源が失われた場合どうなるのかと質問したという。それに対し、原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は「そういうことはあり得ないだろうというぐらいまでの安全設計をしている」と答えたという。
信じられない話だ。福島第一原発では非常用電源が発電所の前に設置され、波にさらわれるままになっていたというのに。もちろん、津波に対する備えなどは一切無かった。要するに海をなめていた。自然をなめていた。素人でも当然心配するようなことを心配せず放置して、完全だと思い込んでいた、ということなのだろう。
原子力安全委員会の斑目春樹委員長は、2007年2月、裁判所で原発内の非常用電源が全てダウンすることは無いのかと問われ「非常用ディーゼル2個の破断も考えましょう、こう考えましょうと言っていると、設計が出来なくなってしまうんですよ」「ちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対造れません」と語ったという。そして、「ただ、あれも起こって、これも起こって、だから地震だったら大変なことになるんだという、抽象的なことを言われた場合には、お答えのしようがありません」と続けたという。
この方には重大な不確定要素serious uncertaintiesという概念は無かったようだ。具体的に確定できること以外に心配すべきものは無い、という発想で判断を進めているように見える。私は素人でまったくの当て推量であるが、こういう方が冬山に登ったら、すぐに遭難死してしまうのではないか。自分の想定を超えたことが起こり人は遭難する。だから、山に登る人は想定以上の備えを必ずしていかなくてはならない。予想通りに遭難する人なんて一人もいないのだ。車の運転もやめた方が良い。公道には何とは特定できない抽象的な危険が溢れているのだから。
ただ、それにしても福島第一原発において非常用ディーゼル2個の破断が具体的に確定している危険だと想定出来なかったのは不思議である。あの配置で。津波対策無しで。
こういう方達が安全を司る政府側の部署の責任者となっている。安全性を軽視しているのは東電ばかりではない。官民一体。原子力分野の専門家はすべて同じ穴のムジナか。テレビに出てくる専門家も、視聴者をミスリードしようとする人が多いように思えるしね。
ついに、マスコミもプルトニウムの漏洩を伝えるようになった。そして圧力容器内で溶融した燃料棒が容器の底に溜まり、その熱で底の一部を損傷し、つまり溶かし、漏洩しているようだと伝えている。
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20110329/Mainichi_20110330k0000m040135000c.html
原発反対派の学者には再臨界の可能性を指摘する人が多い。おいおいおい、いい加減にしてくれ!!!何とか止めてくれ。最悪の事態になればチェルノブイリどころではないぞ。菅首相の言う通り「東日本がつぶれる」。
幸運を祈るばかりだ。
東日本大震災での二次被害の津波の大きさを東京電力は想定を超える津波にした件で三次被害で多くの被災者を出している。 更に四次被害として全国で義援金詐欺等が報道されている中、福島第一原子力発電所の土壌から放射性物質のプルトニウムが検出。 東京電力は殺人電力だ。 都知事選も自粛ムードの中、おもしろ写真・おもしろ画像を貼り「頑張れ東北!頑張ろう日本!」とエールを贈る記事にしました。恐縮ですが遊びに来て下さったら感謝です。
評論家の高野孟さんは最近この原発の作る時の発想がオカシイと
書いてますが彼が今迄そんな発言したのを読んだ記憶がありません、
評論家なので致し方ないのかも知れませんが色々なデータを知りうる
人が早くこうしたものを書いていればいくらか良い方向に向いていたのでは?
といらだってます。
お出でいただきありがとうございます。
やはり事業者に一番の責任があることは疑いが無いですよね。避けようと思えば避けられる事故であったことが明かになっていますので、「想定外」ではすまないですよね。
ブログは拝見しました。ずいぶん頑張っていますね。私には真似ができません。
高野孟は現在66歳でしょうか。福島第一原発が稼働した40年前は26歳。原発の専門家でもないので、今現在そういう発言をしているとすると、最近の勉強の結果ではないでしょうか。
確かに建設時に色々と不備があったようですね。ただ、まだ原発の草創期のことだったので考えに至らない点があったとしても、まあ、ある程度は仕方がないのかなとは思いますね。だからと言って、「絶対に安全」と言ってはいけなかったというのは変わりませんが。一番の問題は、その後の研究でそのままにしておいてはならないことが明かにされて来たのに、頬っ冠をしていたことだと思います。金のためだったのでしょうか。
良い出張でしたね。お元気でなによりです。
炉心損傷のニュース、確かに軽い扱いですね。報道はされていますが、汚染水の処理をどうするかの方がずっと大きいですね。どうせ最悪の事態にはなりっこないという前提で、今の状態を眺めているような気がしますね。そんなに気楽でいいの?と思っちゃいます。
いざとなったら、私たちも関東脱出ということになるかもしれませんが、道は渋滞で身動きできなくなるのは明白だし、電車だって、どうなるか。動いたとしても、家族みんなで乗りきれるものではないでしょうね。ということは、のたれ死ぬしかないのか。だったら、心配しても意味は無い、ということになっちゃいますね。
本当に最悪の事態が来たら、沖縄あたりまで行かないとだめなのかな?