2回目。
少し抜き書きして、これはとてもではないが、2回や3回で終わるものではないことに気が付いた。何回になるか分からないが、続けていこうと思う。
今回、こうやってまとめてみると、一般人からは奇人視されることの多いこの写真家が、なぜ世界では圧倒的な評価を勝ち得ているのか、分かるような気がしてくる。
幸福はすぐ目の前に
「立川の昭和記念公園でコスモスを撮ったけど、むかしでいう『ヒューマンな写真』を平気でシャッター押せるっていうか、堂々と出せるっていうのがいいと思うのよ。あんなの出したら現代作家にはなれないね。でもね、・・・ああいうのを並べたら、いちばんの現代美術ということになりますよ。これで泣かないヤツは感性がないヤツだとか思いつつ、俺も撮ってるわけ。ウヒャーって思いながら、こんな楽園が死の彼岸かなーと思ったりさ。コスモスが彼岸花になってくるわけですよ。でも、そんなこと思わせちゃいけないとか、こう行ったり来たりするわけ、考えが。
・・・公園のロングショットだから人間を点景に撮ることになるわけですよ。・・・遊んでいる人が・・・こっちにきてくれればなーと思うのよ。追っかけてきて転ぶパパ、とかさ。そういうのを入れたい気持ちと、淡々と風景を見ていたい自分と、二人の自分がいるんだけどさぁ。ザワザワするのと、シーンとしているのと、二つ入ってるときは撮っててたまらないんだね。ああ人生、ああ、ああ・・・・・・。
だってさぁ、点景、遠景、これは悲しいんです。中・近景っつうのはね、酔えるでしょう。幸福な家庭が点景に見えるなんて、泣けちゃうよな。幸福はすぐ目の前に見えなくちゃ。・・・いくら明るいポンポンポンのメンデルスゾーンやったってダメだよ。どんど落ち込んで。でもね、それをやろうと思ってるの。・・・ロングショットで幸福感を写せれば、写れば、これは大変なことですよ。
悲しむのがイヤだったら被写体に近づくことさ。・・・やっぱ、ホッとしなくちゃダメよ。
人間を点にする、そんなの悲しいから、泣けてきちゃうから、触れる位置に行って、それで目が見えなくなる。点にするな、近づくんだって、そう思って人を撮るんですよ。」
写真を撮る上で一番大事なものは、人や人生についての感受性なのだということが分かる。また、それが現れていない写真はだめだ、ということになるのだろう。そして、被写体に近づく。そうすると、楽しい、幸福な写真が撮れる。そうありたい。