今年も、表題の美術展に参加させていただくことになりました。昨年に続き、連続参加です。
この日程は、コロナ前、毎年のように撮影に行っていた「原宿よさこい」の開催時期と重なります。
昨年は、地元の自治会の行事が当日の2日とも予定されていて、会長の私が出ないわけにいかず、撮影に行くのをあきらめたのでした。
今年は、朝霞市の某有力チームが初出場することもあり、行ってみようかなという気になっていました。卓球が日常生活の中心になっていて、写真は身の回りの記録以外は何も撮っていないのですが、彩夏祭とこれくらいは良いだろうと行くつもりでいました。
でも、母がいつ死を迎えるか分からない状況になって、お祭りに行く気は失せてしまいました。そこで、今年も案内・電話をいただいた表記の美術展に参加させていただくことにいたしました。
この美術展、最初に参加させていただいたのは、夏、母が脳梗塞で倒れ入院した年でした。
「右手と右足が思うように動かないんだよ」と言う母が、やっと立ち上がりなんとか私のクルマに乗り込み、かかりつけの内科医のところに行ってみると、「これは脳梗塞ですね」。すぐに県立循環器病院の脳外科に連絡をつけてくれて、「救急車を呼ぶよりあなたのクルマで行った方が早いでしょう」と、私のクルマで母を専門病院に乗せていくことになりました。私は一刻を争うと考え近道をしようとして道を間違え、かえって何分か余計に時間がかかってしまいました。後席に座った母は、そんなことに構わず、自分の病状の深刻さを意識しないかのように、車外の光景を見ながら「あれは~だいな。あそこに成っているのは~だんべか。ここは~もつくるんだな」等々とおだやかに話しています。それを聞きながら、私は突然涙が止まらなくなりました。『母ちゃんは、どうなるんだ?』
病院に着き、救急車が停まるスペースにクルマを止め、母をクルマに置いたまま救急の入り口に入り、職員に「連絡が来ていると思いますが・・・・・・・・・」と話すと、知らないと言います。そこで、脳外科の外来に走り看護師に事情を話すと、医師に伝えてくれ、すぐに連れてくるようにということになりました。私はまたクルマに走って戻りましたが、看護師も走ってやってきてくれました。母を車いすに乗せて脳外科に戻ると、応急処置と検査。
救急対応してくれた医師は、画像を見せてくれながら「これから病状は悪化するでしょう」と言ったものでした。私は、『命をも知れないのか、良くて寝たきりになるのか』と、絶望的な気持ちになりました。結果として、母の病状は悪化せず、シルバーカーを押しながらであれば歩ける状態で退院できたのでした。
あの夏、遊びに行っている場合ではないと、原宿をやめて、その代わりこの美術展に初めて参加させていただいたのでした。母はまだ入院中のことでした。
今年、出品させていただく写真は以下の四点です。4,5年前に撮ったものです。
Hot!!
朝霞なるこ一族め組
2018年撮影
眩しさの午後 (1)
眩しさの午後 (2)
眩しさの午後 (3)
眩しさの午後 (1)~(3)
東京体育館の外周で2019年撮影
卓球ワールドカップ団体戦を見に行った日に撮ったものです。対戦が1クール終わって午後3時ころ休憩に入ったので、私は周辺をスナップしてみることにしました。使ったのはマイクロ4/3の入門機GF-3。それも撮影サイズをMに設定して、解像度を落としての撮影でした。それぞれの場所で、2,3ショット撮っただけの行き当たりばったりの撮影でした。まさか、その時撮った写真を美術展に出品することになるとは思ってもみませんでした。