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「八日目の蝉」で泣く

『八日目の蝉 』 NHK『ドラマ10』 第27回 ATP賞テレビグランプリ 受賞 角田光代原作

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小説は以前に読んでいた。映画は見ていない。お盆で家人が娘たちを連れて実家に帰り、テレビを独占できるようになったため、既に録りためていたNHKの6回シリーズのドラマを、今回まとめて視てみた。2、3ヶ月前に再々放送されたものである。主役の誘拐犯を演じたのは壇れい。以前から金麦のコマーシャルで見ていて魅力的な人だなあと思っていた。結果、泣けた。

誘拐犯(主人公)は赤ちゃんをその自宅からさらい、逃亡しながら育てる。自分をママと呼 ばせ、誰からも親子として扱われる。主人公は、この子との生活のためにすべてを犠牲にする。居場所を求めて有り金すべてを修道院のような施設に寄付して入所を許される。世間に自分の正体を知られることを恐れ、その危険が近づいたときには即座にその場の生活を捨て逃亡する。小豆島での生活は、幸福の絶頂だった。初めての2人だけの生活。互いを 常に求め周囲からの慈しみにも恵まれていた。しかし、ついに発覚。逮捕されたとき子どもは4歳(ドラマだと5歳)。

この物語の何が心を動かすのだろうか。

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小豆島の素麺屋の女主人が子どもを抱きしめながら「子どもはこのくらいが一番良いねえ」と言ったが、確かにそうだろう。
私自身、娘が小さかった頃のことを思い出さない日は一日としてない。まだ赤ん坊の時、一緒にお風呂に入れたこと。体中に肉がぷっくりと付いていてそれを抱きかかえたときの感触の何とも言えない心持ち。あのころは私が折った脚の膝と腰の間に子ども寝かせて湯につからせた。少し大きくなって、湯船から出るとき、 自分の脚で出たがるようになると、私の膝を踏み台にして出た。あの手の小ささ。ふっくらとして指。自分と私の股間を見比べて「自分はまだちっちゃいからこうなんだよね。大人になればパパみたいになるんだよね」と聞かれて、「そうだよ」と答えたな。
居間で腹這いになって新聞を読んでいると、その下に強引に潜り込んできておもちゃをいじった。私が椅子に座ってテレビを見ていると私の膝の上に上がってきたので、私が子どもの頭の上に顎を載せてぐりぐりをした。
自転車の練習では苦労した。クルマの来ない道路で、腰をかがめて、小さな自転車を押して走る。ゼイゼイしてたまらず立ち止まると、自転車はそのままスーッと走っていく。いいぞ!と見ていると、前輪が左にそれ、蓋のない側溝にはまり娘は顎をハ ンドルに打ち付けた。あわてて飛んでいって抱き上げると、大粒の涙を流しながら「パパが悪いんだよ。パパが悪いんだよ。パパ、大っ嫌い」と言いながらしがみつ いてきた。

そんな、子どもにとって親の占める位置が圧倒的に高かった日々、こどもが親を全身で求めてくれた時代をすくい取って、物語の中心に据える。そりゃたまらないよ。育てる者にはかわいい子どもの姿しかない。子どもにとっても、圧倒的な愛の対象としての親しかない。そこだけつかみ取っ て、これでもかこれでもかと愛情生活を表現する。しかも、それが突然失われることを意識させられ見せられ読まされ、生木を裂きようなそのシーンを実際に描 く。涙がこぼれざるを得ない。何と気の毒な子どもか。何とかわいそうな母親かと。その感情は高みから見る傍観者のものではない。読者・視聴者自身が経験し た生の感情が投影される。

主人公が逮捕され、本当の親のところに戻された女の子は、新しい環境になじむことができなかった。後半部分はこの子の話が中心となる。大学2年になったその子は様々な葛藤を抱えて成長を遂げていた。その過程で主人公のことは記憶の外に押し出していた。終盤になり、修道院のような施設で互いに幼児で遊び友達だった女性が現れ、その誘いにより小豆島に向かう。すると、主人公との別離前の記憶がよみがえってくる。話す言葉まで小豆島の方言に変わる。そし て、主人公との別離の瞬間の記憶がよみがえり、それまで「あの女」としか表現していなかった主人公のことを「おかあさん」と声に出し、求め、激しく慟哭する。

今現在の私の生活の中で、かつてのような親子関係は望むべくも無い。もう娘たちは私の存在を何も必要としてないし、なかなか話もしてくれない。この娘たちと あの可愛かった子どもはすでに異質の存在である。親である自分にとって、かつての「こども」は既にある意味死んでしまっていると言って良いのかもしれない。子どもにとっても、かつての親は既にもういない。こどもの成長には、このような悲劇が必然的に伴うものなのだろう。

赤ん坊時代から幼児までの養育時代を、主人公の逮捕という形で終結させるこの作品の展開は、そのことを象徴的に表現している。緩慢なる喪失を突然の遮断という形で。うまい設定だなと感心する。

何にしても泣かされました。傑作。

好評で何度も再放送されているので、まだ次があるかもしれません。でも、確実に視たい人にはDVDも出ていますね。
by haru_ogawa2 | 2012-08-15 18:31 | その他 | Comments(0)

元々は自宅の回りの植物(枯れ草・枯れ葉・花・紅葉等)を撮っていましたが、今はよさこいのイベントを撮ることが多くなりました。GANREFにも投稿しています(https://ganref.jp/m/haru_ogawa/portfolios/photo_list/page:1/sort:ganref_point/direction:desc)。


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