「実録・連合赤軍事件 あさま山荘への道程」
「バカの壁」? 思い込んだら人間はどんな馬鹿げたこともできる。説得は・・・出来ません。
見るに堪えない。だから、30分ほどで見るのをやめた。武力闘争に向かう集団から脱走した同志を探し出し、処刑したところで。集団で襲い掛かり体を押さえつけて、首を絞めて殺す。素人が無理をしてやっている姿、そのまんま。本当にうんざりしたよ。エンターテインメントならまだ見られるけど、実録だもんな、これ。しゃれにならない。
自分たちごく少数でやっているだけのことを「ブルジョアジーに対するプロレタリアートの戦い」―誇大妄想。異論を許さぬ全体主義的感性―村八分に通じる。どんな結果になっても「闘争は勝利した」―「退却」を「転進」と言い換えた旧日本軍に通じるゴマカシ・現実逃避。それらが自縄自縛のように、自らの客観的認識力を失わせていく。西欧の合理主義を馬鹿にして国力が10倍以上もあるアメリカに戦争を仕掛けた戦前の日本軍と同じ。要するに、日本人の伝統的な精神的特性が最低な形で具現化した姿。吐き気がする。
困ったことに彼らは壮大な論理を組み立てていた。その論理から強盗・人殺しも厭わない。体の奥底には、自分たちは今とんでもないことをしていると感じる感性もあったはずだ。それが真っ当さをギリギリのところで支えるはずが、それを理屈で押しつぶす。客観性を失った視野から言葉遊びのようにひねり出された長大な理屈で。たまらないな。
立松和平が1998年に出版した小説『光の雨』では、この問題は芸術的に昇華されていた。地獄にはまってしまった人間存在のあり方を描き出していて引き付けられた。しかし、この映画で淡々とした映像を見せられると、嫌悪感しかわいてこない。
人間はどんな馬鹿なことでもやることができる。誇大妄想、思い込みだけでアメリカに戦争を仕掛けたりインパール作戦を実行したり、オウム真理教による地下鉄サリン事件やこの連合赤軍事件を経験してしまった日本人は、特に、その点、肝に銘じておく必要があるなと思う。そういう警鐘としては貴重な映画。絶対に楽しめないし、感動もしないけどね。
でも、若松孝二監督、どんな気持ちでこれを制作したのか。ポスターの宣伝文句を見ると、危機感がまるで感じられない。心配。