2019年 06月 01日
こまフェス 2019(単写真版) (1)
この地はもともと高句麗(こうくり)の王族に率いられた渡来人(狛人-こま人-)が開拓にあたった所で、大和朝廷から高麗(こま)郡の名を与えられ、高麗王若光が首長に任命されました。若光の死後霊廟が建てられ高麗明神と呼ばれ、若光の子孫(高麗氏)が代々宮司をつとめきたということです。2016年には健郡1300年祭が催されました。なお、埼玉県西南部から東京都北部にかけては、かつて武蔵国新羅(しらぎ)郡と呼ばれていました。
今年は光が丘も彩夏祭も出ない、とのこと・・・
あのシンプルな衣装が、灼熱の空の下で見られないのが寂しいっすね^^;
そうなんですか。それは残念ですね。
この催しの時は、踊り子は4人のみ。後ろで太鼓をたたく男が二人、MC一人。それですべて。何でも、オメデタが沢山出たとか。仕方がないですね。