特養から引き上げるとき、私は所長その他のスタッフに、
「病院に行くかここで最期を迎えさせてもらうかは家族で相談します」
と話したが、私の気持ちはほとんど決まっていた。このまま栄養が取れないまま衰弱して死ぬのを待つなんてとてもできない。
『それじゃ、母ちゃんはあと何日かしか生きられないじゃないか』。
帰宅して、妻に、胃ろうは止めようと思うけど、鼻から管を入れて栄養補給をしてもらうのはどうだろうかと話すと、賛成してくれた。
「できるだけのことはしておいた方が良いよね」
と。
親せきにも一応話しておこうと、熊谷の叔父に電話を掛けた。事情を話すと叔父は言った。
「歳も歳だから、無理なことをすると本人が可哀想だいな。自然に任せた方が良いよ」と。
翌、7日(月)、9時半ころ、特養に電話して、今日も面会させてもらえるか聞いた。通常であれば面会は2週間に一回だけなので少し心配した。できるというので、すぐに出かけた。
特養のスタッフは、すぐに母の部屋に通してくれようとしたが、その前に質問をした。病院に行って鼻から管を通すとか胃ろうをするとかいう処置をする方針になった場合、家族に同意を求めてくれるのか、と。そうだという返事をもらって、私の気持ちは完全に入院に決まった。
「入院でお願いします」
と伝えると、スタッフは、特養の顧問の医師に紹介状を書いてもらって病院を探すと言ってくれた。
母の部屋に入り、
「母ちゃん、入院しよう」
と言うと、母も
「ウン、ニュウイン」
と前向きな返事をくれた。母は生きる意思を持っている。
「入院して元気になれば、また食べられるようになるかもしれないよ」
と私は言葉をつづけた。本当にそうなら良いのだけど。
しばらくして、所長が入ってきて、
「~さんは頭がしっかりしているんだから入院したほうが良いですよ」
と言った。さっきまでは、どうしますかとしか言わなかった人がこの変わりようだ。家族の選択の邪魔をしないようにしようという配慮だったのだろう。また、特養に入っている人は大なり小なりボケが入っている人が多いという。母のような人は珍しいと以前から聞いていた。
所長が出て行ってからしばらくして、今度は看護師が私を廊下に呼び出した。
「人工呼吸器と心臓マッサージの装置が無くても良ければ受け入れるという病院がありますけど、どうですか?」。
私は、すぐに
「お願いします」
と答えた。
そして、それから少したって、
「午後1時半に、お母さんを車いすに乗せて病院に連れて行くので、〜さんも病院に来てほしい」
と言われた。そして、一旦帰宅。
病院で待っていると、車に母を置いて看護師が一人で現れた。看護師が少し病院スタッフと打ち合わせをしたあと、三人で病院に入った。母は、待合室ではなくベッドのある部屋に通されたが、その後、レントゲンとCT検査のため、2度部屋を出た。それなりの時間がかかったあと、私は看護師とともに医師に診察室に呼ばれた。母は隣のベッドのある部屋に戻っている。
医師は画像を見ながら説明してくれたが、厳しい内容だった。
肺には何度も肺炎を繰り返した跡がある。多分、誤嚥性肺炎だろう。度々熱が出ていたのは、そのせいだろう。おそらく何年か前に脳梗塞をやったときから、食べづらさは始まっていて今に至ったのだろう。今は流動食になっているということだけど、それも飲み込めなくなっているということになると厳しい。
また、肺には水が溜まっている。原因ははっきりしないが入院となれば一応対応はできる。でも、根本的な治療にはならない。
上半身にヘルニアがあり、食べ物を管で通すのは難しい。
いろいろな数値が低くて老衰直前ということでしょう。そういう患者に鼻から管を通したり胃ろうをするというのは現実的ではない。本人が苦しい思いをするだけだろう。
入院してもできることはあまりない。うまく行って退院して特養に戻っても、すぐにまた入院ということになるだろう。
入院すると認知症になるということもある。
「えっ?特養とそんなに違いますか?」
と私が聞き返すと、特養に入って認知症になる人も多いが病院はそれ以上。まず間違いなくそうなる。
入院してできるのは、点滴で栄養補給をすることくらい。それもそんなにもたない。もってもいずれは療養病棟に入ることになるだろう。
療養病棟は、多くのベッドに対し看護師は非常に少数で、死を待つ場所であるらしい。
私は聞きながら、改めて絶望的な気持ちになった。でも、私は言った。
「一縷ののぞみをかけて病院に来たので、いまさら特養に戻るわけにはいかないです」。
戻ったら母の命はあと数日しかなくなる。また、生きる意欲を持っている母がなんと思うか?
そして、聞いた。
「栄養の点滴でどのくらい生き延びられますか?」
「2ヶ月位でしょう」
仕方がない。私は、
「入院でお願いします」
と言った。
それから待合室に出て、しばらくすると、病院の看護師がやってきて、
「これから病室に入りますけど、その前にご本人とお話をされますか?」
と聞いてくれた。
私は車椅子に乗っている母のところに行き、
「入院して良くなれば、食べられるようになるかもしれないね。また面会に来るからね」
と言った。
そして、家族は入院の書類作成のため待てと言われて、待合室のベンチに座っていると、特養の看護師が私の肩を叩き、
「ショックかと思いますが・・・・・・・・、私はお先に失礼させていただきます」
と挨拶をしてくれた。正直、何を言っているのかよく分からなかった。
もう絶体絶命のところに来ている。逃げようがない。母の命はどうやっても救えない。ただ、数日の余命を数十日に伸ばせるだけだ。しかも、母はボケていない。明晰だ。隣の部屋で医師と私が話していた内容は聞こえていたかも知れない。多分、聞こえていただろう。でも、母と話すときには、バカみたいに非現実的な希望を語るしかない。母は全てお見通しで、そういう私の言葉を受け入れてくれている。
その後、母が着替え済ませたと言って、病院の看護師が母の衣服を持ってきてくれた。私は、小さなビニール袋2つに収まった母の衣服を持ち、入院手続きを済ませ、家に帰った。